
自由に海に出るということは、責任を知るということ。
ある日、一人の若い男性が訪ねてきました。
「ぼく、船でハワイに行きたいんです。できれば自力で。
だけど、予算ないし大きな船は買えないから、小さな船で。
聞いた話だけど、3m未満でエンジンが2馬力なら、免許も船舶検査もいらないって。
……なら、航行区域とか関係ないんですよね?」
少し戸惑いながら、わたしは彼に答えました。
「そうかもしれないけど、それは“行ける”という意味ではないのよ。」
海には、風も潮も流れも、そして命もあります。
法で止められないことを、知識と判断で止める──
それが私たち海のプロに求められていることだと、強く思います。
もちろん、この若者は架空の人物です。
でも、こうした考え方をしている人が、もしかしたら現実にいるかもしれません。
そしてそれが、あなたのご家族や大切な友人だったとしたら──?
画像は生成AIで作成しています。
無免許・無船検制度に潜む危うさ
自由”の影にある、知らないことの怖さ
一見、海がぐっと身近になったように見える制度。
3メートル未満で2馬力以下のエンジンを積んだ船なら、
免許も、船舶検査もいらない。
この一文は、海に憧れる人たちにとってとても魅力的に響くものかもしれません。
「自由に海に出られる」「自分でもできる」と、軽やかな期待を感じることでしょう。
でも──
その“自由”の裏には、**責任や知識を伴わない「無防備な状態」**があることに、気づいている人はどれだけいるでしょうか。
海は、優しいだけの場所ではありません。
潮の流れ、風の変化、天候の急変。
それに加えて、**海上でのルール(航行方法・優先順位・救助の義務)**は、
免許講習の中で初めて触れるものがほとんどです。
つまり、免許が不要=知識が不要、ではないのです。
この制度によって、「知らなくても乗れてしまう」人が増えるということは、
結果として「海に出たときに、自分や他人を危険にさらす可能性」も同時に増えてしまうということ。
画像は生成AIで作成しました。


わたしたちは、海を遠ざけたいのではありません。
むしろ「本当の海の楽しさを、安心して味わってほしい」と願っています。
一人でも多くの方が「安心して、海と親しむ時間」を持ってほしいと思っています。
だからこそ、最低限の知識と判断力は、“フネに乗る前に持つべきライフジャケット”のようなものだと思うのです。
ほんとうの碧を見に行こう
という言葉は、わたしが実際に相模湾の真ん中でみた「碧い海原」を見てほしい、この自然の碧に包まれる時間を味わってほしい、という思いを込めたフレーズです。
それには、安心して漕ぎ出せる自分自身の技量や経験はもちろん、自分を守ってくれるツールとしてのフネの存在は欠かせないものなのです。
写真はわたしが実際に沖で出会ったある日の「ほんとうの碧」です。
ボート免許を取得するときに習うのは、フネの操船技術だけではありません。
海を自力で航行する「船長」としての心得です。
関係する法規、基本的なフネの構造や特徴、エンジンの種類や構造、自然と向き合うための気象海象など、一人で海に漕ぎ出して万が一のことに遭遇してしまったときの対処法としての知識を得ることができます。
フネを走らせるための検査もしかり。
船検でチェックされる法定備品──それは、ただの“ルール上の道具”ではなく、
”もしもの時に命を守ってくれる「最後の盾」”です。
たとえば信号紅炎(発煙筒)や救命胴衣。
「あるかどうか」ではなく、「ちゃんと使える状態か」が重要です。
救命胴衣は、ただ着用するだけでは十分ではありません。
船舶用として認可されているものは、沖合で落水した際にも長時間、体を水面に浮かせ、呼吸を確保できる性能があることが法的に求められています。


特に小型船舶用の認定製品は、厳しい浮力基準や着用時の安定性試験をクリアしており、
実際の海況下でも命を守る“最終防衛ライン”として機能します。
一方、防波堤釣りや岸釣り向けに市販されている救命具の多くは、
「短時間で岸に戻れること」を前提とした設計で、
長時間の浮力維持や転覆時の体位保持(顔を水上に保つ)といった点では、
船舶用救命胴衣と比べて性能に大きな差があります。
船舶用と同じように見えても、性能がまったく異なることがある──
この違いを知らないままでは、「着ていたのに助からなかった」という悲しい結果につながりかねません。
フネで海に出るなら、「着ける」だけでなく、「選ぶ」ことが命を守る第一歩です。
また、船検はフネの“健康診断”のようなもの。
日常の見落としを、プロの目で点検してもらえる機会でもあります。
「どこか不安だけど…」と思いながら走るより、
「プロに診てもらって大丈夫」な状態で走るほうが、気持ちの安心感も全く違う。
船検とは、“ルールを守る”ための通過点ではなく、
安心して“ほんとうの碧”へ出航するための準備なのです。
このページを読んでくださったあなたが、いつか海に出たときに──
「あのとき、あんなことが書いてあったな」
そんなふうに、ふと思い出してくれたら、それがわたしたちの願いです。
海は、美しくて自由で、でもときに、試すような顔も見せてきます。
そのとき、自分を守れるのは、知識と準備と、そして“選んだ道具”です。
ほんとうの碧を見に行くために、わたしたちは、売る前に届ける言葉があると信じています。
フネは、夢を叶える道具であると同時に、命を預ける“相棒”でもあるから──
安心を少しずつ積み重ねて、あなたの“ほんとうの碧”へ、いつか静かに漕ぎ出していただけたら。
その日が心の中に凪の思い出となって残ることを願ってやみません。